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結果のデータを改ざんして論文を公表するということ
まず、論文中のデータに虚偽の疑いが生じその疑いがもっともらしいと判断された時点で、それを掲載した雑誌は当該論文を取り下げます(retraction)。しかし、一旦紙になって出回ったものを回収することはできませんし、雑誌の権威は確実に損なわれます。
また、問題が大きく報道されればされるほど、事件に直接かかわっていない医療関係者全般に対する国民の信頼も揺らぎます。と同時に、国外から見た場合、「日本発の研究論文は眉唾モノだ」という目で見られるようになる恐れもあるので、国際的な日本の地位という点でもマイナスです。
製薬会社はどうでしょうか。もし、ある製薬会社が虚偽のデータを盛り込んだ論文をもとに営業活動を行い、結果としてシェアを拡大したとしたら、当該薬と競合する薬を製造販売している他の製薬会社はたまったものではありません。
臨床試験に参加した患者さんにとってもダメージがあります。科学の発展のために文字通り体を張って参加したにも関わらず試験結果が適切に公開されないとしたら、裏切られたような気持ちになることでしょう。
薬を処方する医師の立場からしても、相当厄介です。患者さんにとって最善であろうと判断して処方した薬が、実はベストの選択肢ではなかった(かもしれない)と後でわかったとしたら、やりきれない思いがするはずです。責任感や倫理的意識の強い医師であればなおさらだと思います。東京大学医科学研究所特任教授の上昌広先生は、「医療詐欺「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい」(講談社)の中で、医師が直面するジレンマについて以下のように述べています。
「五大学で「脳卒中リスクを減らす薬」だということが証明されているにもかかわらず、それを脳卒中のリスクのある患者に処方しないということは、もしも何かがあった時に訴えられてしまいます。だから、あれらの臨床試験論文を読んだ医師は、無条件にバルサルタンを治療に用いねばならなかったのです」
一番の被害者は、言わずもがな薬を処方された患者さん本人です。自分が受けた薬が実は自分にとって必ずしも最適なものではなかった(かもしれない)と知らされるのはつらいものです。「もし別の薬を飲んでいればもっと良くなっているかもしれないのに」などとネガティブな感情が湧いてきてもおかしくはありません。
英語の慣用句に、
Figures don't lie, but liars figure.
というのがあります。これは、「数字自体に嘘はない。しかし嘘つきは数字を使う」というような意味ですが、データの改ざんは、「数字自体に嘘がある」ことになりますから問題外ということになります。
トップノッチの行う英文校正においても、「パーセンテージの合計がおかしい」等、明らかな異常は検出することができますが、狡猾に仕組まれたデータ改ざんを見つけることは現実的に難しいものがあります。