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受動態の価値を全否定しない
この3月に発表された慶應義塾大学医学部のTimothy D. Minton先生の書かれた論文が興味深い内容だったのでご紹介します。タイトルは“In Defense of the Passive Voice in Medical Writing”で、日本語で言えば、「メディカルライティングにおける受動態の存在を擁護する」といったところでしょうか。
医学論文の世界では、大昔は専ら受動態が標準的に使用され、“we performed…”、“we considered…”などと一人称を多用するのは良くないとされていました。しかし、近年はむしろ能動態の使用を勧奨する風潮があり、受動態中心で記述された論文を低く評価する傾向があります。これに対しMinton先生は、同論文の中で受動態を毛嫌いする人々をanti-passive writersと呼んでいるのですが、不適切な受動態の使用例が少なくないという事実に理解を示しながらも、画一的にanti-passiveな立場をとることに警鐘を鳴らしています。
この論文の興味深いところは、anti-passive writersの主張を細分化し、それぞれに対して理路整然と回答を提示しているところです。今日では、投稿規程にも「できるだけ能動態を用いること」と明文化しているジャーナルがあるほどですが、Minton先生はそうした規程自体が多くの受動態を含んだ文体で書かれていることを、具体的な数字を提示して指摘しています。
anti-passive writersの主張には、「受動態より能動態のほうが簡潔である」「受動態の文は動作の主体が曖昧になる」というのがありますが、例えば、
The samples were stored at room temperature for 24 hours.
という受動態の文は、
We stored the samples at room temperature for 24 hours.
という能動態の文と同じ10単語で構成されており、長さに差はありません。また、上記の受動態の文のように短い(“by…”を伴わない)受動態の文の場合、動作の主体が明確にされませんが、それは、「主体が誰なのか」を隠すためではなく、主体がobvious(明明白白)であるかirrelevant(重要でない)であるからです。
そもそも、簡潔さだけが最適な文体を決定する要素でもなく、能動態と受動態では意味するところが変わってしまうこともあります。Minton先生は、“Adults usually consume alcohol.”という文と“Alcohol is usually consumed by adults.”という二つの文を例に挙げ、その意味するところが明確に異なることを述べています。また、英文に慣れ親しんでいない日本人には掴みにくい感覚かもしれませんが、英語では、文単位でみても、既に分かっていることから書き始め、新情報を後ろに置くのが自然とされます。もちろんこのルールが全ての文に必ず適用されるわけではありませんが、ネイティブに近い英文を書くには欠かせない感覚だったりします。
Minton先生は、
…(but) brevity is no advantage if it comes at the expense of clarity and natural word order
とも述べています。「明解さや語順の自然さを損なってまで簡潔さを追い求める利点はない」ということです。このことは、「簡潔さが全てに優先する」と盲目的に思い込んでいる方々に特に憶えておいて欲しいことです。本来、必要な情報が過不足なく盛り込まれていることが大前提であり、それを簡潔かつ自然な文で書くという行為は、決して前提を覆すものであってはなりません。
冒頭に述べたように、現在の趨勢はどちらかと言えば「能動態偏重」であり、今回の論文はそうした流れに呼応して出てきた反論とみることもできます。