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ノンネイティブの査読者
日本翻訳連盟(JTF)が主催する年次イベントに翻訳祭というのがあります。翻訳業界関係者が集まり、多様なテーマでディスカッションを行う非常に有意義なイベントです。先日、JTFが隔月で発行する日本翻訳ジャーナルに掲載されていた第24回JTF翻訳祭の特集記事を読んでいて感じることがありました。
その記事は「医療・医学研究での翻訳の役割と可能性」と題されたパネルディスカッションのレビュー記事で、モデレーターを含む3名の方が行ったディスカッションを別の方が数百文字にまとめている記事でした。記事の一節に以下のような文がありました。
「論文がアクセプトされることが最も重要であり、「伝わる」英語が求められている。ノンネイティブの査読者も増えているため、ネイティブらしい英語にこだわる必要はない」
繰り返しますが、これはまとめの記事ですので、実際に上記のとおりに発言されたかどうかはわかりません。しかし、特に後半の文には感じるところがあります。まず、“ノンネイティブの査読者が増えている”というのは実感としてあります。英語の医学雑誌に投稿して提供された査読者レポートを読むと、明らかにネイティブレベルでない研究者が書いていると感じられることが多くなりました。3名の査読者のうち2名がそんな調子だったというケースもありました。もちろん、査読者レポート自体が流暢な英語で書かれている必要はあまりないのですが、残念なのは、このような査読者が「英語の文法に問題があるのでネイティブによる校正を受けるべき」というコメントを(問題のある箇所を具体的に指摘することなく)残しているのを頻繁にみかけることです。
さて、“ネイティブらしい英語にこだわる必要はない”の部分ですが、これには注意が必要です。おそらく発言者の意図するところは、「複雑な文を書いたり小難しい表現(専門用語を除く)を使ったりする必要はないですよ」に近かったと思うのですが、それを「ネイティブらしい英語にこだわる必要はない」と言ってしまうと、誤解をしてしまう方がいると思うのです。実際のところ、有能なネイティブは無駄に複雑で長い文は書きませんし、英語を第二言語に持つ多くの著者よりはるかに分かりやすい文を書きます。また、特に優秀なネイティブの文を読むと、非常に語彙が豊富であることを感じさせますが、ごく自然に適材適所で単語を選択しているため、ひけらかしている印象を全く与えません。語彙を増やすことは、伝えたいことをより正確に伝えるために必要なことですから、このような優れた英文を書くことを目指すことは、方向性として決して間違っているわけではありません。
話を戻しますと、「ノンネイティブの査読者も増えているため、ネイティブらしい英語にこだわる必要はない」という発言は、「ノンネイティブの査読者にあたった場合はネイティブレベルの英語でなくても問題にされない」と取れなくもありません。しかし、前述のとおり、ノンネイティブの査読者」であっても英文の文法的側面にコメントすることができますし、それは珍しいことでもありません。引用文の前半にあるとおり、「伝わる」英語を書こうと努めることが、結局は分かりやすい英文を書くことに通じるのではないでしょうか。